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アトリエ通信〜アラスカ野生動物画家きむらけい〜

アラスカ野生動物画家きむらけいの日々徒然

真冬のたわけ者

既に2ヶ月前となった蔵出しの話題を。

2月18日気温マイナス3度の小雪舞う曇り空。
パートナーと鈴鹿山地への冬山登山に出動。
が、中古のクランポンが
約500メートル進んだ地点で故障分解し緊急中止。

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山用品メーカーの方の話で、使用中に山用具が故障すると
不備でもないのにとりあえずクレームを入れる人間が多くいるらしい。
そりゃいつか壊れますよ。用具はね。
自然の中に身を置く場合はあらゆる事態を想定し準備する事が大切。
クランポンの故障も予備のアイゼンを携帯していれば済む話。
それが出来ていなかったので中止となったのは自己責任。

さて、小雪混じりの寒風吹きすさぶ近江平野のど真ん中。
午前10時に冬山登山中止。
レンタカーと共に行く宛を無くしたあわれな二人。
この近辺でどこか楽しめる所がないか車内で緊急会議。

そしてふと偉大なる人物のお顔が頭に浮かびました。
私達の結婚記念日6月2日は彼の命日。
いつかふたりで行ってみたかった場所。

「安 土 城 跡」

一路「安土城跡」を目指して北へ。
岐阜県をこよなく愛するパートナーは
安土城城主「織田信長」様のファン。

近江八幡と呼ばれる平坦な土地ある安土山。
「安土城」は山全体を切り崩し大名屋敷や寺院などを配置。
山頂に地下1階を含む6階建て高さ33メートルの天主を建設。
大手道を上がってようやく辿り着く
天主の壮大な姿に当時の人達は圧倒された事でしょう。
建設当時は琵琶湖の内湖に囲まれて南側だけが陸地でしたが
現在は干拓によって360度農地に囲まれています。

不等辺6角形の天主は内部が吹き抜けの構造であるとされてきましたが
最新の研究で新たな基礎部分が発掘されこの定説は否定されています。
お城の全体像や天主焼失の原因など今だに多くの謎に包まれています。
お言葉が短くて、何を考えているのか、何をされるかわかりにくいと評判の信長公。
そもそも亡くなった原因となる「本能寺の変」も謎だらけ。
信長公の御遺骸も発見されていません。
そんなミステリアスたっぷりな信長公に魅かれる多くの方が大勢おられます。

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現場に到着するとこの寒い中複数の見学者が。
早速大手道の入口から山頂の天主跡へ199メートルの登山開始。
登り始めてすぐに「羽柴秀吉邸跡」「前田利家邸跡」が現れます。
「羽柴秀吉邸跡」は前田邸の3倍程の大きさ。秀吉殿の当時の勢いを物語ります。

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そして噂通り大手道の石畳に幾つもの石仏が…。
無神論者で自らを神と位置づけた信長公。
お城に出入りする人々にこのような石仏を足蹴にさせる事で
新たなる価値観を植え付ける事が狙いなのか
それとも短時間で建設工事を終える為の合理策か。
あくまで見えている部分の石仏なので、石畳でうつぶせにされていたり
石垣の中に組み込まれたものがあるでしょう。
実際目にすると信長公びいきのパートナーも閉口。
「殿、これはちょっと…。」

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山頂付近に信長公のお墓があります。
これは「本能寺の変」以後に羽柴秀吉公によって
信長公ゆかりの品を埋葬した場所。

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そしてついに頂上の天主跡へ。
現在の基礎部分が残るこの場所は当時の地下1階部分。
近江平野とかつては城下まで湖が広がっていた素晴らしいパノラマ。
北東の岐阜県境に位置する伊吹山の真っ白い雄大な姿も望めます。

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このお城は現在廃墟の状態。
信長公の圧倒的な存在感や建設当時の壮観なお城の姿は全て過去の幻。

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それなのに今この場所にいると次々と信長公のイメージが湧いてきます。
この場所で私達が見る風景をご覧になり、同じ所を歩かれたのはまぎれも無い事実。
優れた発想力で既成概念をことごとく打ち破り、
いったん行動すれば周到に準備し素早く遂行。
働き者でほとんど休まずに駆け抜けた49年の生涯。
しばしこの場所で信長公に想いを馳せる私。
妄想タイムスタート。

信長公「わしの事よりそのほう登山はいかがした」
私  「道具の故障により中止にございます」
信長公「事前に点検はしたのであろうな」
私  「いたしました」
信長公「歩いて試したかと聞いておる」
私  「……手で確認しただけでございます……」
信長公「登山は足でするものじゃ、このたわけが」
私  「はっ、はぁあっ」

もう一つ面白かったのがこのお城跡の観光客。
廃墟のお城を見る為にこの寒い中来るのだから独特な雰囲気があります。
天主跡で石垣の上から基礎部分の敷石を指で数えてメモる人。
苔むした石垣のほんのわずかな隙間(排水溝らしき穴)を覗いてシャッターを切る人。
構えたカメラの位置が常に下の方向を向いていて
明らかに大阪城や姫路城の観光客とは違って遺跡探しの雰囲気なのです。
城主は風変わりなお方で様々な奇行が後世に語り継がれています。
偲んで来られる後世の人も変わった人が多くなるのか。
私を含めて。


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