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アトリエ通信〜アラスカ野生動物画家きむらけい〜

アラスカ野生動物画家きむらけいの日々徒然

アラスカ取材手記〜その2 冷海からの帰還と誓い〜

前回からの続き

沖合に到着後、次第に寒さに強ばっていく体。
とりあえず釣りでもして動いて
寒さと船酔いから気を紛らわさねば。

同船者に薬を分けてもらい何とかリバースを回避。
でも寒気はひどくなる一方。
温かい飲物を持参してこなかった自分を呪う。
同船者達もこの状況を寒いと感じていないので
誰一人熱いコーヒーなど持ち合わせていない。

みんな凄く楽しそうにしていて
参っているのは小さな日本人一人だけ。
ポールさんはこの氷雨の中
トップにフリースを着ているだけで、平気な顔をしている。

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ビリヤード玉くらいのシンカー(重り)をつけた仕掛け。
巨大な釣り針にニシンのブツ切りをセットして海に投入。
いつも灰色に見えるこの海は予想外に透明度が高かった。
投入した重い仕掛けがびゅうううっと急速に流されるのを
のぞき込んでいると、じわじわ、と恐怖感が湧いて来る。

「もし海に落ちたらあっと言う間に流されるなぁ…。」

ポールさんは持って来たサケのアラをブツ切りにして
寄せエサ用にせっせと海に投入し始めた。
これが臭くて臭くて、よりいっそう船酔いに拍車をかけるのだった。
うぷ。

だが釣りのカミサマは見捨てなかった?
釣り開始早々、がくんと強烈な引き込みが私の竿に。

のけぞって大きく合わせると魚がヒットした。
強い潮流を受けながら
重いシンカーと大きな魚を引き上げるのは重労働だ。
やがて体長1m位のハリバット(オヒョウ)が水面に上がり
ギャフと呼ばれる巨大なフックでエラを引っ掛けて甲板に引き上げられた。
凄く嬉しかったけれど寒いわ吐き気がするわで最悪の気分。

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それからは私も同船者も当たりがすっかり止まってしまい
小舟はシケ気味の沖合で木の葉のように
ぐるぐるとダッチロールを繰り返すだけ。

寒さと必死に戦う私にトドメを刺したのは、
愛用してきたレインパンツの裏切りだ。
縫製劣化による漏水。
冷たいを通り越して痛みすら感じる始末。

ついに全身の震えが止まらなくなり、寄港を要請。

「了解、あと15分だけ待って」とポールさん。
私と同船していたバンクハウスの住人4名のうち1名しか釣れていないので、
もう少し粘りたいらしい。
僕は運良く開始早々にハリバットを仕留め釣りの目的は達成したものの
肝心の取材は不発。

うっすらとした記憶の中で。
ボートの近くでぷかぷか浮いている何頭ものラッコ達が、
可愛い顔で潜り、また浮上し、愛想を振りまいていたような…。

「あと15分だけ待って」から約45分後に釣り終了。
岸に向って進むボートの中で私は固まったまま。
港の気温の高さに安心し、ほっとしてからの記憶がありません。
完全に完璧に失神したらしい。
気がついたのはバンクハウスの駐車場に到着した車中。
体には毛布が何枚も重ねられ
ヒーターががんがんにかかっていました。

同行者には70歳と80歳の二人のお父さんがいて、
「魚はさばいておくから、熱いシャワーを浴びて来なさい」と。
嬉しくて涙が溢れそうになるのと同時に、
申し訳なく、情けない気持で一杯。
かなり落ち込んでしまいました。

そんな気分を吹き飛ばすかの様なシェフを本業とする
ポールさんのすばらしいスペシャルハリバット料理。
美味しくて美味しくて。

翌日は前夜の食べ過ぎと疲労で丸1日部屋に引きこもり。

ただ理由は解らないけれど
もう一度行きたいと強く願う私がいました。
そう、リベンジ取材をするのだ!

そして5年後、その機会が訪れたのです。

その3に続く。

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ポールさんのリバーボート…戦いの場

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アラスカ取材手記 〜その1 体格差・体力差〜

アラスカは手付かずの大自然がどこまでも広がる大地。
野生動物を取材したくても陸路さえないこともあります。

水上飛行機をチャーターして飛ぶか
ボートをチャーターして川を遡るか…
あるいは努力して原生林を薮コギしたり。
地元のガイドさんに同行していただく必要が多々あるのです。

立派な体格のアメリカ人のガイドさん。
私達日本人と体力の差が大きいのです。

「このちょっと先にとても美しい場所があるよ」
「なに、大した距離ではないよ」
「とても簡単なトレイルさ、ハイキングだよ」

などと言われて気軽に行ってみれば丸一日のハードな行程。
中でも一番気をつけなければならないのは、着るものです。
真冬の装備でいても震えるような気温ですら
彼らはフリースを着ているだけで平気な顔をし、
雨が降ってきても私達よりかなり後になってようやく雨具を羽織ったり。

とにかくどこへ行く場合でも厳重な用意で臨まないと
こちらは大変な目にあうのです。
彼らにとってはなんてことないのでしょうけど。

徒歩の場合、彼らは私達の短い歩幅に気付いてはくれません。
「ゆっくり歩いて下さい」と主張しなければ
どんどんどんどん進んでいってしまうのです。

川を遡行する場合、長身で足の長い彼らは渡れても、
私達は浅瀬を探して大回り。
最短ルートで進めない場合がほとんどです。
川を渡ろうとして、水の勢いと深さで立ち往生。
ガイドさんにオンブしてもらって対岸にたどり着くなんてことも。

かつて。
最も過酷な状況に追い込まれ、
軽い低体温症のため気を失った事が一度だけあります。
それは2009年、単独でアラスカ取材をした5年前のこと。

いつもお世話になっているカシロフのバンクハウスのオーナー、
ポールさんに同行していただいた
キーナイ半島のクック湾に生息する
シロイルカ・シャチ・ラッコ・ザトウクジラなどの
哺乳動物の取材を兼ねた、食味の素晴らしいハリバット(オヒョウ)釣り。

「ポイントはほんの少し沖、沖合は寒いからね」
これがポールさんの説明。
時期は7月半ば、アラスカでもキーナイは北海道の釧路と同じくらいの気温。
低気圧が来ても雪にはならない。
日本(関西)の真冬の寒波が到来した場合と同じ装備で
大切な取材の相棒の一眼レフを抱え、ボートに乗り込みました。
長袖のアンダーシャツに長袖シャツ、
その上にフリースを羽織りトップにゴアテックスのレインジャケット。

ポールさんの「ポイントはほんの少し沖」は、
キーナイ半島最南端の町「ホーマー」に近い
「アンカーポイント」の沖合20kmの地点でした。
はるかかなたに霞む陸地。

そしてタイミング悪く
雨男の私らしくおなじみの低気圧がやってきました。
いやはや、沖合の氷雨がこれほどまでに強烈に体感温度を奪うとは。

海水温は真夏でも摂氏0度近く、冷たい海風と氷雨のダブルパンチ。
おまけにポールさんのボートは全長3メートル位のリバーボート。
クルーザーの場合には海面よりも高い位置にデッキがあるし、
キャビンに入れば冷たい海風と氷雨はやり過ごせるのですが。

つまり川でキングサーモンなどを釣る為に設計された小型ボートで、
冷海の20キロ沖合に出たのです。
刺す様な冷たい強風で波はうねりまくり
生涯初の強烈な船酔いに襲われました。

過酷な世界が私を待ち受けていたのです。

その2に続く。

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アラスカ ホーマーの港





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新居は古戦場

5月末に引っ越し後片付けなどの作業で忙殺され
しばらくの間、絵画の仕事もブログもお休みしていました。
もう8月ですね…。

不動産屋さんに「徒歩5分以内にコンビニや飲食店などがなく
幹線道路から離れた閑静な場所、最寄りの駅まで遠くてもOK」
とリクエストし案内された物件は田園や閑静な住宅が広がる
戦国時代の有名な古戦場の中。
「山崎の戦い(明智VS羽柴)」の明智本陣すぐ。
近くに天王山がそびえる夏でも涼しい環境です。

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新居住まい初日が6/1。
6/2が私達の結婚記念日であり「本能寺の変」の日。
偶然とは言え何かに呼ばれたような…。
私もパートナーも信長公のファンなのですが。

「本能寺の変」は偉大な権力者が
最も信頼する部下に裏切られ
あっけなく討たれた日本史上最大の怪事件。

謀反の理由などは諸説ありますが
私達には思いも及ばぬ特別な理由や感情が
信長公と光秀公の間にあったのでは。

事件は突発的に発生?????

光秀公が日々深く熟慮して
計画的に謀反に及んだとは思えません。
1万人の兵隊で本能寺を包囲されるまで
信長方が気付かないのも不思議です。
近しいものですら
光秀公の謀反を誰も予想しえなかったのでは。

事件直後、岡山で毛利軍と対峙していた秀吉公が
いち早く情報を入手。
毛利軍と和睦し電光石火のごとく
5日間で近畿地方まで引き返した
高速撤退作戦の撤退作業「中国大返し」が
スムーズに出来過ぎているため
予想し得る状況下にあったかあるいは事件の黒幕、
共謀者だと唱える説もあるようです。

しかし仕事の素早さは天下一品の秀吉公。
数日間で敵の領地に要塞を建てた
「墨俣の一夜城」などの実績があり
私は撤退作業の素早さに違和感を感じません。

光秀公は羽柴軍の撤退の素早さを予想できず
6/13の「山崎の戦い」までの間に迫り来る羽柴軍に対して
戦闘準備が不充分で後手後手に回った感があります。

光秀公は「本能寺の変」の直後
畿内を平定すべく親交の深い近隣大名へ
謀反に及んだいきさつと加勢希望の旨を伝えますが
主人を裏切った謀反人のイメージに抵抗感があったのか
将来性に疑問を感じたのか、ことごとく拒絶されてしまいます。
予想もしなかった明智軍に対する不人気。

対して中国地方から驚くべき素早さで
近畿地方に舞い戻った羽柴軍の人気の高さ。

光秀公が味方になると目論んだ
畿内有力大名の大半が敵側に。

織田家における知略・武略の輝かしい実績を駆使し
山崎の地に本陣を設けた光秀公。
羽柴軍は彼の人生で最大最強の敵となり
2万人対1万人の勝ち目の無い戦が始まります。

「山崎の戦い」はたった約3時間で勝敗がつき
敗れた光秀公は本陣から約800m北に位置する勝龍寺城へ撤退。
深夜密かに近江坂本の城を目指す半ば
京都市山科区の小栗栖(おぐるす)で
落武者狩りの手にかかり、その生涯を終えます。

山崎の地で勝利した秀吉公は
天下人へ上り詰めました。
光秀公を討った後「清洲会議」を経て
柴田勝家公と戦った「賤ヶ岳の戦い」までの間
この山崎の天王山に城を築き
幸運をもたらしたこの地を愛しておられたご様子。

私達も秀吉公にあやかり運が開ければと思います。

光秀公
「時は今雨が下しる五月哉」
※本能寺の変の5日前の連歌会で詠む。
 
秀吉公
「露と置き露と消えぬるわが身かな
浪華のことは夢のまた夢」〜辞世




引っ越して間もなく三谷幸喜氏の映画「清洲会議」を観賞。
脚本が素晴らしく登場人物の役者さんのキャスティングが
自分のイメージにかなり近くて楽しめました。
大泉洋さんの羽柴秀吉公と
役所広司さんの柴田勝家公は素晴らしい。
黒田官兵衛は寺島進さんがはまり役に思えます。



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