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アトリエ通信〜アラスカ野生動物画家きむらけい〜

アラスカ野生動物画家きむらけいの日々徒然

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新居は古戦場

5月末に引っ越し後片付けなどの作業で忙殺され
しばらくの間、絵画の仕事もブログもお休みしていました。
もう8月ですね…。

不動産屋さんに「徒歩5分以内にコンビニや飲食店などがなく
幹線道路から離れた閑静な場所、最寄りの駅まで遠くてもOK」
とリクエストし案内された物件は田園や閑静な住宅が広がる
戦国時代の有名な古戦場の中。
「山崎の戦い(明智VS羽柴)」の明智本陣すぐ。
近くに天王山がそびえる夏でも涼しい環境です。

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新居住まい初日が6/1。
6/2が私達の結婚記念日であり「本能寺の変」の日。
偶然とは言え何かに呼ばれたような…。
私もパートナーも信長公のファンなのですが。

「本能寺の変」は偉大な権力者が
最も信頼する部下に裏切られ
あっけなく討たれた日本史上最大の怪事件。

謀反の理由などは諸説ありますが
私達には思いも及ばぬ特別な理由や感情が
信長公と光秀公の間にあったのでは。

事件は突発的に発生?????

光秀公が日々深く熟慮して
計画的に謀反に及んだとは思えません。
1万人の兵隊で本能寺を包囲されるまで
信長方が気付かないのも不思議です。
近しいものですら
光秀公の謀反を誰も予想しえなかったのでは。

事件直後、岡山で毛利軍と対峙していた秀吉公が
いち早く情報を入手。
毛利軍と和睦し電光石火のごとく
5日間で近畿地方まで引き返した
高速撤退作戦の撤退作業「中国大返し」が
スムーズに出来過ぎているため
予想し得る状況下にあったかあるいは事件の黒幕、
共謀者だと唱える説もあるようです。

しかし仕事の素早さは天下一品の秀吉公。
数日間で敵の領地に要塞を建てた
「墨俣の一夜城」などの実績があり
私は撤退作業の素早さに違和感を感じません。

光秀公は羽柴軍の撤退の素早さを予想できず
6/13の「山崎の戦い」までの間に迫り来る羽柴軍に対して
戦闘準備が不充分で後手後手に回った感があります。

光秀公は「本能寺の変」の直後
畿内を平定すべく親交の深い近隣大名へ
謀反に及んだいきさつと加勢希望の旨を伝えますが
主人を裏切った謀反人のイメージに抵抗感があったのか
将来性に疑問を感じたのか、ことごとく拒絶されてしまいます。
予想もしなかった明智軍に対する不人気。

対して中国地方から驚くべき素早さで
近畿地方に舞い戻った羽柴軍の人気の高さ。

光秀公が味方になると目論んだ
畿内有力大名の大半が敵側に。

織田家における知略・武略の輝かしい実績を駆使し
山崎の地に本陣を設けた光秀公。
羽柴軍は彼の人生で最大最強の敵となり
2万人対1万人の勝ち目の無い戦が始まります。

「山崎の戦い」はたった約3時間で勝敗がつき
敗れた光秀公は本陣から約800m北に位置する勝龍寺城へ撤退。
深夜密かに近江坂本の城を目指す半ば
京都市山科区の小栗栖(おぐるす)で
落武者狩りの手にかかり、その生涯を終えます。

山崎の地で勝利した秀吉公は
天下人へ上り詰めました。
光秀公を討った後「清洲会議」を経て
柴田勝家公と戦った「賤ヶ岳の戦い」までの間
この山崎の天王山に城を築き
幸運をもたらしたこの地を愛しておられたご様子。

私達も秀吉公にあやかり運が開ければと思います。

光秀公
「時は今雨が下しる五月哉」
※本能寺の変の5日前の連歌会で詠む。
 
秀吉公
「露と置き露と消えぬるわが身かな
浪華のことは夢のまた夢」〜辞世




引っ越して間もなく三谷幸喜氏の映画「清洲会議」を観賞。
脚本が素晴らしく登場人物の役者さんのキャスティングが
自分のイメージにかなり近くて楽しめました。
大泉洋さんの羽柴秀吉公と
役所広司さんの柴田勝家公は素晴らしい。
黒田官兵衛は寺島進さんがはまり役に思えます。


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